その日、自分が何をしていたか?
20年前のことですが、自分の記憶の中で、NEWS23の当時の司会者 筑紫哲也さんが「世界中の人が、2001年9月11日に自分がどこで何をしていたかを覚えている日になる」といっておられました。確かに私もその日のことをはっきり覚えています。
多くの方は夜のテレビ番組の途中で、いきなり映像が変わり、世界貿易センターのビルに飛行機が突っ込んでいる映像をリアルタイムで見られたかと思います。最初は「なぜこんな映像が流れているの? 映画の1シーン?」と思っていたら、2機目がもう一つのビルに突っ込んだということではなかったでしょうか。
私はというと、前職でちょうど保険を始めた年で、その日から福岡の研修所に入っていました。
研修所ではテレビを見る時間がなく、今のようにスマホもありませんでしたので、その夜 アメリカでそんな大事件が起きていることは全く知りませんでした。
次の日の朝、各部屋に届いた朝刊を見て初めて知り、「とんでもないことがおきたっ‼」と同室の研修生に伝えたことを覚えています。
出来事を知ったのは翌朝でしたが、9月11日当日、鹿児島の川内駅のホームで妻と当時1歳だった長男(その子も今は成人しました)に見送られて研修所に向かった映像、次の日の夜近くの居酒屋でもテロの話題で持ちきりだったことを今も鮮明に思い起こせるので、筑紫哲也さんが言われたことは真実でした。
多くの方は夜のテレビ番組の途中で、いきなり映像が変わり、世界貿易センターのビルに飛行機が突っ込んでいる映像をリアルタイムで見られたかと思います。最初は「なぜこんな映像が流れているの? 映画の1シーン?」と思っていたら、2機目がもう一つのビルに突っ込んだということではなかったでしょうか。
私はというと、前職でちょうど保険を始めた年で、その日から福岡の研修所に入っていました。
研修所ではテレビを見る時間がなく、今のようにスマホもありませんでしたので、その夜 アメリカでそんな大事件が起きていることは全く知りませんでした。
次の日の朝、各部屋に届いた朝刊を見て初めて知り、「とんでもないことがおきたっ‼」と同室の研修生に伝えたことを覚えています。
出来事を知ったのは翌朝でしたが、9月11日当日、鹿児島の川内駅のホームで妻と当時1歳だった長男(その子も今は成人しました)に見送られて研修所に向かった映像、次の日の夜近くの居酒屋でもテロの話題で持ちきりだったことを今も鮮明に思い起こせるので、筑紫哲也さんが言われたことは真実でした。
留守電に「愛してる・・・」
それからしばらくは、どの報道番組でもこのことがかなりの時間取り上げられました。徐々に事件の全貌が明らかになる中で、犠牲者になった人々の様子も語られるようになります。ほとんどの人は親しい人に「さよなら」も言えなかったようですが、一部の人は電話で話ができたり、留守電にメッセージを残すことができたそうです。ハイジャックされた飛行機の乗客の中の1人の男性は、奥さんに事情を伝えたのちに「とにかく君を愛してる・・・。良いことをして、楽しい人生を送ってほしい。本当に愛してるよ。」と留守電に入れていたとのことです。
切羽詰まった中で、自分のことよりも奥さんのことを優先して考える、しかもほんの少し前までは、ハイジャックされているなんて考えていなかったのに、短い時間の中でこれができたというのは、個人的にいろいろ感じるところがありました。
切羽詰まった中で、自分のことよりも奥さんのことを優先して考える、しかもほんの少し前までは、ハイジャックされているなんて考えていなかったのに、短い時間の中でこれができたというのは、個人的にいろいろ感じるところがありました。
もしも4年前に起きていたら…
実はこの事件が起きる約4年前、夫婦でニューヨークを訪れ、ワールドトレードセンターに上りました。
屋上からマンハッタンのビルを一望できる絵は絶景でした。
自分たちが立っていたあのビルが数時間で崩れ去り、今はもうないと思うと何となく寂しいですし、もし自分たちがいた4年前にあの事件が起きていたらと思うとぞっとします。
犠牲者になった人々もまさにそうだったと思いますが、その日の朝 まさか自分がテロの犠牲になるとは思っていなかったでしょう。ご本人たちの無念さ、ご家族の悲痛な気持ちを考えると胸が詰まります。
人はいつ何に遭遇するかわかりません。ちょっとのタイミングの違いで明暗が分かれることもあります。
話は変わりますが、明石家さんまさんが、墜落した日航ジャンボ機に乗る予定だったのが、テレビの収録がたまたま早く終わったのでひとつ前の便で移動したので難を逃れたという有名な話があります。考えたくありませんが、もしそのさんまさんが飛行機に乗っていたら・・・と考えるとやはりぞっとします。今のお笑い界の構図も違ったものになっていたでしょうね。
さんまさんの座右の銘に「生きてるだけで丸儲け」というのがありますが、そのような体験も要因にあるのだろうと思います。
自分も今こうして生きていられることに感謝し、生活の中で感謝を表していきたいものです。
「9.11から20年」という報道を受けて、命があるのは当たり前ではない事、そして一日一日を大切に生きねばと改めて考える機会になりました。
一方で、この時期にアフガン問題が起き不安な思いがありますが、争いや戦争のない世界が実現することを心から願っています。
屋上からマンハッタンのビルを一望できる絵は絶景でした。
自分たちが立っていたあのビルが数時間で崩れ去り、今はもうないと思うと何となく寂しいですし、もし自分たちがいた4年前にあの事件が起きていたらと思うとぞっとします。
犠牲者になった人々もまさにそうだったと思いますが、その日の朝 まさか自分がテロの犠牲になるとは思っていなかったでしょう。ご本人たちの無念さ、ご家族の悲痛な気持ちを考えると胸が詰まります。
人はいつ何に遭遇するかわかりません。ちょっとのタイミングの違いで明暗が分かれることもあります。
話は変わりますが、明石家さんまさんが、墜落した日航ジャンボ機に乗る予定だったのが、テレビの収録がたまたま早く終わったのでひとつ前の便で移動したので難を逃れたという有名な話があります。考えたくありませんが、もしそのさんまさんが飛行機に乗っていたら・・・と考えるとやはりぞっとします。今のお笑い界の構図も違ったものになっていたでしょうね。
さんまさんの座右の銘に「生きてるだけで丸儲け」というのがありますが、そのような体験も要因にあるのだろうと思います。
自分も今こうして生きていられることに感謝し、生活の中で感謝を表していきたいものです。
「9.11から20年」という報道を受けて、命があるのは当たり前ではない事、そして一日一日を大切に生きねばと改めて考える機会になりました。
一方で、この時期にアフガン問題が起き不安な思いがありますが、争いや戦争のない世界が実現することを心から願っています。
20年前の写真をスキャンしたので画像が悪いですが、ワールドトレードセンターの屋上での記念写真です。
背景にニューヨークの街が・・・わかりづらい⁉
背景にニューヨークの街が・・・わかりづらい⁉